アキレスと亀と旅ねずみ
会期:2024.2.23(金・祝)~3.31(日)
金土日 11:00~18:00 月~木は前日までに予約
TEL; 090-7384-8169 email; info@operation-table.com
会場:Operation Table
805-0027 北九州市八幡東区東鉄町8-18
https://www.operation-table.com/
朝日新聞文化財団助成事業
タイトルはアキレスと亀川2名の出品作家名と全体のテーマの典拠としている寺山修司の戯曲「レミングー壁抜け男」に由来する。アキレスと亀は到達できないことの喩えでもあるが、アートとは到達点が見えないことという意味でタイトルに掲げた。レミング は旅ねずみのことである。劇作「レミング−壁抜け男」とは、ある日突然アパートの壁が消えてなくなり、隣人同士の生活の境界もなくなってしまう話。展覧会は劇作品のストーリーをなぞるものではない。コロナ禍の長い期間、ステイホームやアクリル壁越しの対話を強いられてきたこの数年の閉塞的コミュニケーションから回復しつつある現在を寺山の壁抜け男に反映させ、個人の活動の壁を超え、3名の美術家が相互に表現の領分や素材、様式、主題などを交換・共有する試みである。生島は福岡在住、肖像画を主としながら、書や工芸を採り入れたインスタレーションも発表してきた。アキレスはマラカイボ生れ、東京を拠点にサウンド・パフォーマンス+インスタレーションによって活動してきた。亀川は北九州在住、木彫の人物像や動物像を制作してきた。この3名による交換/借用/なりすましプログラムが楽しみである。
左上2点:アキレス・ハッジス 右上2点:生島国宣 左下2点:亀川豊未
展覧会期は、はじめと終わりに3人展、2週目~4週目に生島/亀川/ハッジスのソロ部分がメインとなる、というように展示替えが続きます。
①期 3人展A (2/23 Fri.~25 Sun.)
②期 生島+2 (3/1 Fri.~3 Sun.)
③期 亀川+2 (3/8 Fri.~10 sun.)
④期 ハッジス+2 (3/15 Fri.~21 Sun.)
⑤期 3人展B (3/22 Fri.~31 Sun.)
〈イベント〉
2/23 Fri.祝 14:00~15:30 オープニング・トーク x 3 + パフォーマンス・セッション
16:00~20:00 レセプション ギリシャ料理や南米料理あり
参加料 1,000円(レセプションは+1,000円)
3/2 Sat. 15:00~ 16:30 生島国宜 アーティスト・トーク(or パフォーマンス)
参加料 1,000円
3/9 Sat. 15:00~16:30 亀川豊未 ワークショップ(orパフォーマンス)
参加料 1,000円
3/16 Sat. 15:00~16:30 アキレス・ハッジス サウンド・パフォーマンス
参加料 1,000円
3/31 Sun. 15:00~16:30 クロス・トーク+パフォーマンス・セッション
17:00~20:00 クロージング・パーティ
参加料 1,000円(パーティは+1,000円)
表現はどこから来るのか―そのアトリビューションの意味不明さ
花田伸一
本展『アキレスと亀と旅ねずみ』はアキレス・ハッジス(A)、亀川豊未(B)、生島国宜(C)の三者によるグループ展である。第1週はA+B+C横並びのグループ展、第2週はCをメイン作家としてCがA・Bの作品もアレンジしながら展示を構成、第3週はBがメイン、第4週はAがメイン、第5週は改めてA+B+Cによるグループ展、という流れで展開された。
週ごとに次々と姿を変えていく本展の展開を毎回見届けながら私は「アトリビューション」のことを考えていた。「アトリビュート」の語をネットで調べてみると、「西洋美術において伝説上・歴史上の人物または神話上の神と関連付けられた物。その持ち主を特定する役割を果たす」などと出てきて驚いた。私はそのような意味で使ったことがない。私の経験では「アトリビュートする」といえば「作品の作者を同定する」ことである。例えば、歴史上の作者不明の作品があるとき、美術史家がその作品についてあれこれ調べた上で「この作品の作者は誰々であろう」と同定する=アトリビュートする、という具合に、ある作品を特定の作者に帰属させる、起因させる、由来を求める、という意味合いで用いる。さらに、賞賛先も責任の追及先もそこに求めるという含みもあるかもしれない。この優れた作品(ダメな作品)は誰々の功績(責任)によるものです、と。
さて、この「アトリビューション」の作業が美術史家の間で成り立つのは、作者を常にある特定の人物に紐づける習慣があるからだ。もう少し正確にいうと、「私たちが美術作品と呼ぶものはある特定の人間の所産であるという前提のもと愛でたい」、平たくいえば「作品のことは作者込みで考えたい」=「作品と作者とを切り離したくない」という意識があるからだ。しかし、これらの前提は本当に自明なのだろうか、有効なのだろうか、適切なのだろうか、という問いを『アキレスと亀と旅ねずみ』は突きつけてくる。
例えば、男性用小便器を横倒しにしてサインをされた1917年のあの作品はマルセル・デュシャンなる人物にアトリビュートされるが、はたしてそれは自明なことだろうか。アトリビュート先は「R. Mutt」ではダメなのか、さらに便器メーカーやそのデザイナーをアトリビュート先に含めないで良いのか。もっと言えば、当時の美術館やアカデミーという制度を支えていた世間の常識や、大量生産される工業製品は美術に含めないという当時の常識、さらには、その後もあの作品に繰り返し言及しつづける美術関係者・鑑賞者たち、もろもろ全てがあの作品の奇抜さを維持せしめる共作者(共犯者)としてアトリビュートされてもおかしくないのではないか。
デュシャンみたいなヘソ曲がりな例はいったん置いといて、音楽業界でもう少しシンプルな例を考えてみよう。音楽業界でヒット曲が生まれたとき、その曲のアトリビュート先は通常、その曲を作った音楽家に求められる。しかしそのアトリビュート先は作詞・作曲・編曲など複数にまたがるのが一般的で、それらが全て特定の一人に限定されることは少ない。また曲の売り上げは印税として音楽家とレコード会社とに入るが、その印税のアトリビュート先はその二者だけで本当に良いのだろうか。ピアノやギターなど優れた音色を奏でる楽器を開発した人、マイク・アンプ・スピーカー・ミキサーなど優れた演奏・録音機器を開発した人、静かな環境で録音できるスタジオを建てた人、一つの音源を複製するレコード技術を開発した人、もっと言えば、大昔にピアノやバイオリンを開発した人、そのまた大昔にご機嫌なハーモニーやリズムを生み出した人、などなど、ヒット曲を成り立たせている要因の積み重なりを考え始めると、なぜ彼らにも印税が分配されないのだろうと不思議になってくる。
要するに、どんな表現であれ、これまでの長い歴史のなかで積み重ねられてきた技能や仕組みの上に成り立ち、様々な文脈が絡み合って成り立つものだが、今の社会ではその功績や責任が特定の人間や団体にしぼって帰属される仕組みになっている。世界全体の連続した大きなうねりや流れの中でたまたま部分的に「作品」と呼べそうな領域がふんわり隆起したところに、非連続な区切りを設けることで周りから切り取り、そこに旗を立て特定の誰かの陣地にする感じといえようか。
結局これは「帰属」、ひいては「所有」の問題だ。私たちは、作品は作者に「帰属」されるべきもの、作品から生じる見返りは誰かが「所有」(より正確には私有)するべきもの、と考えている。『アキレスと亀と旅ねずみ』はその前提を揺さぶってくる。美術史上のミケランジェロやルーベンスらの工房生産の例も含め、何かの芸術活動を特定の一人の人物へとアトリビュートすることの矛盾や限界は先に述べた通り。
何かの誉れや罪を特定の誰かに集中的にアトリビュートするという発想は明らかに、資本主義制度とそれを生み出す土壌となったキリスト教世界に通じている。例えば、企業の役員・経営者・株主など、彼らが資本を準備できたり、経営をできたり、組織を動かせたりするのは、なにも彼らの能力や思惑だけに起因するわけでもないのに、なぜかその功績や責任は集中して彼らにアトリビュートされる。謎だ。一度気になりだしたら不思議なことだらけだ。
この意味不明さは「契約」なる謎概念に起因するらしい。そのような「契約」になっている「から」このような意味不明なことがまかり通るらしい。が、しかし考えてみたらこれもヘンだ。「契約」の「主体」はなぜ「個人」(法人)に限られるのか、その「契約」は本当に適切なのか、そもそも本当に「契約」しないといけないのか、よく分からない。私たちはなぜこんな謎設定のゲームを毎日プレイしているのか。一体だれがこんな無理ゲー始めたのか。うんと遡ってみるに、この「契約」なる概念はどうやら神と人類との約束に始まるらしい。が、いやいや、因果がおかしい。このゲームを始める前に私たちのうち何人が神と契約しましたっけ? いつ? キリスト教文化圏に生まれ育った人たちならともかく、ほとんどの人たちは契約した覚えもないのに、いつの間にかこのクソゲーに巻き込まれてしまっているのではありませんか?
「契約」を前提とするゲーム、つまり色々なことを特定の「個人」(法人)にアトリビュートするゲームで一方的に世界中を覆いつくすのはいい加減もうやめにして、違う世界線を考えてみましょうよ。ドクメンタ15ではインドネシアのコレクティヴ「ルアンルパ」が個人主体&私有財産を前提とする美術業界とは異なる世界線を示そうとした(が、残念ながら『あいちトリエンナーレ2019 情の時代』同様、思わぬところで大炎上してしまい、それどころではなくなった)。北九州市出身の小説家・平野啓一郎は西洋発の「個人(in-dividual=区分できない)」概念に対して「分人(dividual=区分できる)」なる概念を呈示している。日本の古典芸能には「襲名」という仕組みがあり、たとえば歌舞伎では団十郎・菊五郎など、浮世絵では豊国・広重・英泉など、落語では円楽・正蔵など、師匠の名を弟子が代々受け継いでいく。「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」との文で始まる宮沢賢治『春と修羅』の世界観は森羅万象あまねく繋がりあい連続する(divideしない=区分しない)縁起として世界を捉える仏教観によっている。さらに遡って、サモトラスのニケや万葉集「詠み人知らず」の歌など、古今東西の作者不明の作品群、等々。地球上の活動を全て「契約」主体たる「個人」にアトリビュートしようとする謎設定な世界とは異なる世界線もそこかしこに見受けられるではありませんか。
以上のような補助線を携えつつ今回の『アキレスと亀と旅ねずみ』の無双ぶりを振り返ってみるとしみじみ味わい深い…。というあたりで本稿はいったんセーブしておくので、続きはまた誰かプレイしてください、よろしくお願いします。
(キュレーター/佐賀大学芸術地域デザイン学部准教授)
壁を抜けるということ
𠮷川神津夫
「アキレスと亀と旅ねずみ」以後
2024年11月8日
Real Sou#14+ 理性的な問いと、不合理な答え
茨木市福祉文化会館
2024年9月23日、9月12日
常行三昧
A-LAV
いずれも桜井類 『Moist Meteor』
桜井類はこの2つの展覧会において同じ作品を『Moist Meteor』出品している。A-LAV展示時は会期中に作品が変化していくと但し書きが添えられていたので、2度にわたり足を運んだ。桜井は絵画の作家だが、壁に平面作品を展示するだけではなく、キャンバスを立体状に丸めて、天井から吊り下げる作品も制作する。この展覧会では、初見時は作品が天井から吊るされていたが、2度目には紐が切られ、作品は床に広げられていた。ところが、茨木の展示では作品は再度吊り下げられている。吊るから床置きが変化の過程にあるのだとすれば、会場が変わっても変化が続いているということだろうか。
2024年8月8日
中野裕之/パラモデル展 □とか△、できかけのPの話
京都高島屋S.C.百貨店7階グランドホール
中野裕之アーティストトーク
中野は建物が出来上がった状態より工事現場の方に関心があるという。プラモデルでも。完成品よりパーツの段階が良いと。常に動いている状況に興味があるのだ。そういえば、パラモデルのプラレールも無限に接続可能なものだ。
2024年7月27日、8月4日
無数の穴 大石茉莉香
KUNST|ARZT
出品作品の一つは、黒い板一面に穴があけられており、そこに作家が用意した花や小旗を観客が差していくものだった。作家自身は、観客に促すものの、するしない。どこに差すかは観客に委ねられている。会期中、作家自身は全く手を加えない、例えば花が落下してもそのままにしている。ただ、変化のプロセスを経て会期が終了しても、それで作品が完成というわけではないという。とりあえずの中断なのだ。
2024年6月2日
You(Me) 寺田海
Hakari contemporary
出品作品の一つは作家の自宅で花が差された花瓶をYou Tubeでライブ配信したものだった。ライブ配信は展覧会は始まる前の4月28日から始まっており、閉廊後も休廊日も配信は続いていたという。本来は夜間もシャッターを開けて見える状態にしたかったそうだが、建物の管理運営上許可が悪露なかったそうだ。私も休廊日に配信されているのか確認した。
『レミング』のこと
私が展覧会を訪れたのは、3月21日、4期のハッジス+2の時であった。入口を入るとすぐ、天井桟敷の『レミング』のビデオが流れていた。
懐かしい。
寺山修司の死去に伴い、天井桟敷の最終公演になった『レミング』を見たのは1983年の5月下旬のこと。正確な日時の覚えはないが、大阪の八尾西武ホールだった。本展の全体のテーマとして準拠しているのがこの演劇とのことだが、私が来るまで実際にこの演劇を見た人はいないということ。もう40年以上前のことであるし、公演が巡回したのは横浜、八尾、札幌なので九州の人が見ていないのも意外ではない。もっとも、見たと言ってもそんな昔のことを鮮明に覚えているわけではない。今回、この原稿を執筆するにあたり、「台本 抄」が掲載されているパンフレットを読み返してみても、忘れていることに気づかされる始末だ。ただ、芝居のエンディングで、出演者たちが「お前ら壁が欲しいんだろう」と叫びながら、壁を叩き続けていた様は今でも印象に残っている。もっとも、この展覧会自体が演劇のストーリーと対応したものでないため、演劇の記憶に頼り過ぎる必要もなかろう。ただ、自らの経験として、このことは記されずにはいられなかった。
壁はどこにあるのか
美術においては、美術館であれ、ギャラリーであれ、古民家であれ、何らかの壁の中で作品展示をしている事例は多い。一方で、屋外における作品展示、展覧会も珍しくない。少なくとも、美術においては物理的な壁は制約ではない。それでは、一体何が壁と考えられるだろうか。この展覧会に関しては、個人の活動の壁を超え、3名の美術家が相互に表現の領分や素材、様式、主題などを交換・共有する試みである、とのことだった。
まず、「アキレスと亀と旅ねずみ」(以後アキ亀と略す)の構成を見てみよう。最初は3人よるグループ展示から始まり、週ごとに3人の中の1人が前の展示を踏まえて新たな展示を行い、最後に再び3人で展示を行うという構成になっている。個々の作家が担当する展示はその時の担当に委ねられている。ギャラリストはもちろん、出品作家さえも先を読めないことがこの展覧会の興味深い点だと思う。
過去に類似した展覧会があっただろうかと思い返してみたが、思い当たるものはなかった。少し幅を広げてみる。会期中に展示作品が変化していく展覧会としては、2002年に芦屋市立美術博物館で開催された「あたりまえのこと連続38日間のパフォーマンス 堀尾貞治個展」がある。私も2回のパフォーマンスに参加した。作家がワークショップを行うことによって展示作品が変化していくことは、今、思い出しても刺激的だった。これだけなら、「アキ亀」以上に過激に見えるかもしれない。しかし、堀尾は日常的に各地で展覧会を開催し、ワークショップによる作品制作を行っている作家であった。公立美術館の展覧会としては異例のものだが、堀尾にとっては「あたりまえのこと」なのである。
これに対して、「アキ亀」は3人の作家のよるものだ。また、作家たちにとって会期中に作品を変化させることも日常的ではないだろう。しかも、他人の作品にも手を加えられるのである。私が訪れた時も、自らの作品に手を加えられたことに対して不快感を持った出品作家がいたという話を聞いた。起こりうる軋轢だと思ったし、私もこの展覧会は、予定調和ではないと感じたものだった。しかし、先は読めなかったとしても、展覧会は終了している。この展覧会のタイトルには「アートには到達点がない」との意が込められているとのことだが、この時点は到達点ではなかったのだろうか。
私はこの展覧会の終了時を中断点と仮定してみる。そして、作家間の壁とは異なる、他の壁抜けの可能性を見出そうと思う。展覧会最後のパートを引き継ぎ、次のシステムさえ設定すれば、以後も継続可能ではないか、場合によってはメンバーを変えて続けても良いのではないかと考えてみるのだ。
冒頭から紹介してきた展覧会・作品は、個々の作家によるものなので、他の作家との交わりはない。しかし、これらは「アキ亀」を受けて、「アートとは到達点がない」という可能性を見出せないかと私が考えた事例である。いずれも、展覧会という枠を超えて、連続性を認められるものである。多くの作家たちが一つの作品、一つの展覧会を終え、次に向かっていくことを「到達点がない」と考えるのは自然なことである。しかし、作品の在り方は一様ではないはずだ。それが連続性を孕むものであったとしても、展覧会が終われば、それが一つの区切りと見なされてしまう。再度、展示された時には旧作の展示や旧作に手を加えたものとして、連続性は見失われてしまいがちとなる。果たして、このような作品に対応するには、どのような展覧会が可能なのだろうか。
これまで、「アキ亀」を見終えてから思いを馳せたことを述べてきた。また、この原稿を書き進めている途中でも、桜井類と共に尼崎の展覧会に出品していた高田マルあるいは加藤巧のような作家も気にはなっていた。本稿は何か結論のようなものを示すというよりは、可能性を示唆しようするものである。この先についても、さらに調査を続け、考えていきたいと思う。
(現代美術批評)